ヨーロッパの寒さから逃れて、グラナダのアルハンブラ宮殿で革水筒に入れたビノを飲みながら、一切れのパンにチーズ、真っ青な空を眺め楽しんでいると、観光ツァーのアメリカ人、日本人達が夢のように通り過ぎて行く。この天国みたいな所を、ただ通り過ぎて行くなんてと、アラベスク模様の池に映る冬の日だまりでウトウトとしていた。遠くアトラス山脈に雪が見えた。

数日後、マラガへ、マラガの女を捜しに行く。マラゲーニャである、真冬一月だというのに、海辺に水浴をしている人達が逆光に浮かび上がっている。女を捜しに来たはずが、歌に聞こえた美女美女などにはお目にかからず、三日滞在したうち二日を、ナイフを買うことに費やしてしまう。南米でピストルを所持していた時から久しぶりの武器である。全長二十数センチの登山ナイフ風の、缶切り、ボトルオープナー、パン切りなどの付いた、旅人にとって大変ユースフルな一物なんです。それを手にして、これだったら、警察、税関でひっかかってもなんとか言い逃れると一人悦にいる。

モロッコに渡るために、ジブラルタル海峡の町、アルヘシラスに向かう。

アルヘシラスに着いたのが夕方で、何処に泊まろうか?と、その白い小さな町を歩いていると、一人の日本青年が話しかけてきた。だいたいが、日本人と見かけると話かけるのはコチラなのに、めずらしく反対なので、チョイトこいつは危ネエゾと思うが、そこは異国での同邦、なつかしいじゃありませんか、まあ話を聞きながらホテルを捜す。結局は違ったホテルに泊まることにする。彼の所は、外国人と相部屋で、その上、部屋に鍵が無いのだという。もうそれだけで、そこで泊まる気がしなくなっている。一人旅も一年を過ぎると、悲しいことではあるけれど、非常に用心深くなっているのです。

それで、一人部屋を5~60ペセタ、300~400円で決めて泊まる。夜、前記のハポネス(日本人)が訪ねて来て話し込む。

カルメンで有名なセビリヤのタバコ工場跡、大学の学生食堂で、他の日本人と会ったあと十日以上日本語を話していなかったので話しがはずむ。(十日も日本語を話さなかったと大げさに書くが、それっくらい日本人旅行者と何処ででも会ってしまうのですよ。まず、世界中何処へ行っても日本人と出会うでしょう。)

話を聞くと、旅の途中で、金を使い果たしてしまい、今、金を待っている。金が着き次第アフリカに渡るのだという。それに、ここ数日、パンと水しか腹に入れていない。それも5日程前に他の日本人から1ドルをもらい食いつないでいると、哀しいことを、おっしゃる。アタシも明日は我が身と思って、ご苦労様にも街にでて閉まっている店のドアをたたいてパンとビノとチーズを買い込んでホテルに戻り(ホテルといっても日本のそれを連想してもらっては困るのであります。とってもチッポケな家のチッポケな部屋なのデス)それらを楽しみながら話す。彼は、泥棒日記の著者、ジャン・ジュネの信奉者ということだ。

このアルヘシラスというところはジュネがある時期、どうしても、当時<悪の巣窟>だったタンジールへ密航を計って、六回とも失敗して、結局は行けなかった所なのだそうだ。てな訳で彼は、ジュネを気どって、他の旅行者連中にプライドを持ってタカッているのだそうだ。

アタシの方も、彼の気持ちは解らんでもないが、私の方が少し年上のようだから、「そんなケチ臭いことにプライドを持たないで、もっとノーマルな大志を抱いて旅を続けてチョウダイナ」と、のたまったのデス。

翌朝、船の時間まで間があったので、海峡に面した港を見て回る。かすか海の彼方に、アフリカ大陸の山々がうっすらと見えるようだ。

小さな白い町に青い海、地中海と大西洋の合流点を感慨を胸に歩く。漁師の若い連中が船の上で、タバコらしきものを吸いながら笑い合っている。チョイト気になって近づいて行き、カメラを向けると、「こっちへ来い」という。例によって気の良い私は、ホイホイと乞われるままにシャッターを切る。なにしろ、写真などドキュメント(身分証明)しか撮ったことの無い連中である。

その吸っていた、タバコのようなものを回してきて、吸えという。「これは何だ?」と聞くと、キーフだという。キーイたこともない名前だ。すすめられて否とは言えないアタクシ、多分、ライにKeのマリワナーと思って試してみる。煙がノドを通る時、するどい痛みが走って数分後、目尻から後ろの方がモヤーとしてきた。空が綺麗だ。そして皆んな友達という気がする。彼等も良い気になっているらしく、さかんに写真を送ってくれ、と、彼等のアドレスをくれる。

又か!と思うが、こういう時は素直にオーケーオーケー!と、それをもらっておく。なにしろ日本に帰るのが一年以上も先のことだから、当然彼等は、そのことを忘れていることを予期してのことである。送れないなどと逐一断っていたら、ケンカばかりしていなくっちゃならないからなぁ。もちろん、帰っても、ほとんど送らないのでアール。

人々と私②

彼等と別れて岸壁を千鳥足で歩いていると、やはり船の上で漁師達が、大きな洗面器様ボールに入れた貝のようなものを美味そうにパクついている。急に腹がへってきて、非常に食いたくなる。

それで、食べたそうな顔をして眺め、写真を撮り、ジット見つめる。すると、例によって声がかかる。待ってました!と船に乗る。遠慮していると、「食べろ」という。食べる。美味い!日本では見たこともない大きな貝の肉である。どうせだから腹一杯食って、パンもビノも飲ましてもらっちゃった。そして、例によって、パチリ。そして、写真は送るといって送らない。これジョーシキ。

余は満足!

昼近くなったので、対岸(モロッコ側)、セウタ行きの連絡船)の所に行く。昨日のメイド・イン・ジャパンのジュネ氏は、送りに来るという約束をしていたが来ない。船が出そうになったので、乗船して、彼を待つ。するとジュネ氏、二人の日本人カモを連れて、やって来た。

「オーイ、金は送って来たのか-」と聞くと、「まだデース」と彼。しょうがないので、持っていた1ドル紙幣を小さく折りたたんで甲板から投げてやる。「この1ドルと、さっきのコーラのビンで、数日食いつないでくれやー」と言う。

昨日カモになって、今日は、それにネギを付けてやったようなもんだ、と自分のお人好しかげんに苦笑する。

1ドルが、ヒラヒラヒラと彼の近くに落ちた。それを後に、船は出た。ヨーロッパが少しずつ遠ざかって行く。遂に、太平洋、大西洋、ギリシャ神話のジブラルタルを渡っているのか。自分の航跡を思い出すと感無量である。そして、アフリカ大陸の山々がしだいに黒々と見えてくる。海流は速い。一時間チョイで対岸、つまりアフリカ大陸第一歩のセウタである。

まったく、此処はモロッコだと思い込んでいて、アルヘシラスでペセタを使い切ってきたところ、セウタだけはスペイン領なんだとさ!