その一、A君と正チャン

パルテノンの神殿でガードマンと鬼ごっこをし、警察の車で署へ連行され、半日遊ばれたので、東京ハウス(なぜかアテネに有る)に帰ってからもムシャクシャした気持ちで話していた。

そこにいたのが、A君と正チャンなのです。

正チャン、彼はTVでホームドラマの次男坊役でもやれそうな好男子だが、これが只の男前じゃあない。中身は体道という空手を基礎にした武術の四段持ちだということだ。人は見かけによらないもんだ。

A君、体は細身で正チャンと正反対で、強そうではないが、いつも何にでも、格調高い!、格調高い!格調高い!という言葉を連発する男なのです。それが、なんともいえないムードをかもしだしていた。正チャンや僕が、どんな駄洒落を言っても、格調高い!とくるんですから負けてしまいます。

その二人に、アラブ諸国へ行くべきか、イスラエルへ行くべきかと迷っていることを話すと、彼等はエジプトや他のアラブ諸国を旅してきたばかりで、エジプトは旅行者に対する通貨の状況が悪く、短期間の旅行ならば止した方がよいと教えてくれた。

これから自分達は以前ボランティアをしていたイスラエルのキブツに帰るので、もし貴方が我々と一緒に来るならば、寝る所、食い物は当分心配いらないよ、という。

その言葉に釣られて、行く先は決定!

翌晩、気分の悪かったアテネを後にした。飛行機はエルアル、危ない危ないイスラエル航空機なのです。

昨今、ハイジャックが多いといっても、エルアルほど狙われる会社はないでしょう。なにしろ、アラブゲリラにとって直接敵国なんですからね。

我々が乗る一週間前にもアテネのオフィスが襲われたと誰かが言ってました。

話は横道にそれますが、機上で彼等に聞いた楽しい話、二人がキブツの生活に飽きて、帰国する前にと思い、アフリカ、インドの旅を計画したらしいのですが、パスポートの問題で、一度ギリシャに出てから、エチオピアのアジスアベバに向かったのです。やはり前記のエルアルに載ったらしく、又、テルアビブにストップオーバーしたんですね。彼等はトランジット(通過)だったのに、イミグレーションを通る時、ヒブル語(イスラエル)をうっかり喋ったらしい。

検査官に、これは怪しいと思われ、特別室に入れられ、パンツの中まで調べられ、2時間を費やし、飛行機を遅らせてしまい、テルアビブからアジスアベバまでもかなりの乗客の乗っている機内で、彼等二人の前後左右を空けて、その次の席に彼等を囲むように六人の男達がジッと見ているので、トイレにもいけなかった。

アジスアベバに飛行機が着くと、止まったとたん、兵隊が乗り込んで来て、エアーターミナルまで連れていかれ、又、調べられてから解放されたということだ。

A君曰く、あの間は、全くVIPみたいでカークチョー(格調)高かった。チョット恐かったけど、本当に、正チャン格調高かったね!  だってさ。

その飄々とした感じのA君、その旅の終わりになって、ある大学の学生運動の指導者だったことが、ギリシャで往年の彼を知っている人に突然出会って判ったそうだ。

二年一緒にいた俺にも知らせていなかったんだから驚いてしまったよ、と、正チャンがあきれていた。

この辺を歩いていると、どんな “くせ者”と出会ってるか解らないですね。

 

その二、エルサレムの椿さん と 山口君

正チャンと聖地エルサレムに行く。二人して滞在するべく友人の家を捜しながら、城壁で囲まれた旧市から新市(新市まで、六日戦争以前はイスラエルで、聖地であるところの、我々がいうイスラエルは、それまでヨルダンだったのです)方向に歩いていると、旅行者らしからぬ風の日本人グループが歩いて来た。椿氏も山口君もその中にいた。

エルサレムでは、女の城セントヨセフという修道院内の椿氏の部屋に居候を決め込む。

修道院ですぞ!確かにそうなんだと聞いていたのだが、修道尼に会ったことが無く、我々の滞在していた四階は、アラブ人達ばかりなんだから此処はどうなってんだろうと思いました?

はじめに、山口君、彼は、少林寺拳法三段のモサで、エルサレムに来た時、デモンストレーションをやったらしく、かなり有名になっている。

城壁に囲まれたオールドシティを彼と歩いていると、大向こうから声が掛かるのです。子供達がヒロ、ヒロと、彼の前に立って空手の真似をしては逃げて行きます。

ある日、山口君が、二つあるYMCAのアラブ人側で少林寺を教えているのを聞いて、アタシ(僕)も平均的アラブ人の力量を試してみたいと思って、一緒に乗り込む。

この辺は日本と違って、柔道も、空手も、少林寺も混ぜて考えてるんですね。それらを同じジムでやっていて、同じ人が、いくつもの闘技を学んでいるんです。なかには柔術などという古流までやってるのがいるんですぞ。

戦争中のこの国では、強いことは無条件に良いことのようです。

ヒロ君がいうには、この国じゃ、メイヤ首相、モシェ・ダヤンを知らなくたって、ブルース・リーを知らなきゃ、もぐりなんだぜ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ!ですって。

習ってる連中も、スポーツや健康のためじゃなく、戦う為にやってるんですから練習も迫力あります。

常に戦時体制の所なのですから、武道家が、武をもって生きれる最後の場所かもしれません。(警察の犬ではなく)

YMCAには二十人ほどの生徒と、黒帯を着けたアラブ人の先生がいて練習に励んでいます。そんな中に入っていき、「やらせてくれ」というと、誰かの柔道着らしいものを貸、してくれたので、それを着て、弱い人から相手にする。なかには子供もいたが、十人ほどと戦ったが、まず負けなかった。ただ、最後から二番目の男が、他の若者達とは段違いに強かったので少なからず危ない思いをした。

このように書くと、僕もチョット強そうな感じですが、種を明かせば、彼等は皆、白帯なのです。

先生が勝負を申し込んできた。彼は伸長180㎝ほどで、体重も80㎏近くありそうなのです。

断るのもシャクだと思い、組んでみたが、まるで大人と子供の対戦みたいなもんです。

黒帯を絞めてるだけあって、他の連中と比べると段違いの強さだ。僕は、先程からやって疲れていて力が出ない。投げようとしても決まらないで逆につぶされて押さえ込まれそうになる。その上、悪いことに顔なんかの場合は、ガクガクの入れ歯が、口の中ではずれ、口内を傷つけそうになって、あわてて畳を打つ。

三度申し合わせをしたが、全て同じ型ちで別れてしまった。くやしいがしかたが無かった。彼は初段だというが、流石に鍛えてるだけあって動きもスピードも日本人と比べても劣らない。

先生と僕の乱取りを生徒達が見ていたが、小さな体の者でも大きな人と互角に戦えることに驚いていたようでした。いいことだと思う。

アラブ人とは別に、山口君とも柔道で申し合わせして勝っちゃったのは、生徒達の手前まずかったかなと反省する。

勿論、彼の少林寺でやれば彼の方が強いのは言うまでも無い。

六、七年ぶりにやった柔道の快い疲れを楽しみながら、ソロモンの城壁近くの西瓜屋さんで、山口君の弟子に捕まって少しの間話してから、修道院に住む友人と食べようと土産の西瓜を買って帰る。

屋台の裸電球が遠く続く向こうに、薄ぼんやりと城壁が見える。