歴史の重みは感じるものの、冷たい感じがしてなじめない北ヨーロッパから、オリエント急行に乗る。朝焼けとともにボスポラス海峡が浮かびだし、もうすぐヨーロッパとアジアの接点、イスタンブールに到着である。
日本語を話す友も無く、駅の外へ出ると、暑い風がムッと顔をなぜて来る。そして、ヨーロッパ人ともアジア人ともつかない顔の人達が忙しそうに動き回り、乗り物はといえば、後進国特有のバタバタと耳をつんざく騒音をたてて走っている。それを見ていると、何か嬉しくなってしまい、体全体がウキウキしてくる。アーアッ、俺はついにアジアに帰って来たんだと、しばし、一本30円のトウモロコシをかじりながら立ち止まる。
例により、始めに安宿をブルーモスクの見えるところに決めてから街に出る。また、ブルーモスクの側を通り、左に曲がって、ビザンチン建築最大と思われるアヤ・ソフィア横をぬけて、駅の前を通り、有名なガラタ橋(別名ガラクタ橋)に行く。
この橋がケッサクなのです。なにしろ真ん中は普通の橋なのですが、両側に浮島のようなものを作り、多くの店(ほとんどが食べ物屋)が並び、特に海の幸を多く飾って、それらをその場で、料理して出してくれるのです。
料理といっても、ほとんどが油で揚げたものか、焼いたもの。そして、夜になると、トルコ式夜タカが現れ、運の良い人は、ゆらゆらゆられながら急行で事をおこなった人もいると聞いたことがある。
 まあ、ひとりで数日を過ごすのもシャクだと思い、旅行者の間で有名な、ホテル・ゴンゴールという所に、友を訪ねて行く。と、いるいる、ヨーロッパ中に滞在して、さあ帰国という青年達が合流してきたのだろう、常時四、五人は滞在して中近東経由のスケジュールを立てている。まだ旅を続けなければならない私は、すぐに、「アーア、良いなぁ」と言ってしまう。彼等は、「イヤー、そんな事ないですよ」と言ってくれるが、当方は、ギリシャ、バルカン半島の先を列車で三日ゆられて行こうか?と思っていたのだが、時間と金の都合と、トルコ半島の先に、彼の有名なトロイの遺跡その他、エーゲ、ギリシャ、ローマのそれが有ることを知り、バスにてトルコ半島を海ぞいに出発をした。一昼夜かかりアジアに入り、トロイに向かったのですが、あれだけ世界に鳴り響いた所でありながら、4キロ先から交通機関が無いのです。歩いたり、トラックターをヒッチハイクしてたどり着く。
 今までにトロイ戦争を題材にした映画、漫画をイメージの総てとしてきた私としては、とてつもなく小さく、長辺150メーター、短辺が100メーターまでなく、あるのは、青い空と、遠くに(8キロ)ギリシャ軍が上陸したと思われる海辺があったようです。面白いのは、子供達が(数日前にイスタンブールあたりで作られたものであろう)青サビの生えた銅貨を、オリジナルと称して売りに来た。私も知ってか知らずか買わされてしまった。
 トロイからトルコ第二の都市イズミールに向かったのはバスであったはずなのですが、交通機関の有る所までどう行ったか解らないのです。とにかくイズミールの近くで一夜、Mr.ムスターファの宿に泊まる。翌日、やはり、ロバの馬車?にヒッチハイクして、ローマの遺跡、エフェスに向かう。これは、アウグスチヌス帝の頃のもので、あの時代に、よくこれだけ大きな都市を造っていたものだと驚かされる。建物跡が有る所でも、長辺が1.5㎞、少し道が曲がって又、1㎞程の街並みが有るのですから。そしてすごいのはコロシアム。山の斜面にそった劇場は現代のそれに匹敵するほどである。最上部の長径は100メーター近くも有りそうです。
 地中海の太陽の照りつける遺跡を後にして、エーゲ海をギリシャに渡るべく港へ行くと、ギリシャのミコノス島に行く船が週2便なので、その日の内に一番近いサモス島に行かねばならぬという。小さな、はしけのような船で、夕陽が海にしずみかかるのを見ながら、若ハゲのフランス人兄弟と車の話になり、今パリで一番売れているのがシェリーだという?シェリー?何処の車だと聞くと、日本の車だという。考えてみると、チェリーなのだった。しばし、波しぶきが飛びかかってくる。
 夜になって、やっと安いペンション(いつも安宿ばかりなのダ)を見つける。ヨットの灯りが波間にチラチラまたたくのを見ながら歩いていると、ギリシャの歌にまじって日本の歌のようなものが聞こえた。メシを食べ、久しぶりにビールを飲んだ。日本のビールと比べると極端に水っぽいがアルコール類は贅沢品として普段は飲まないので旨かった。