ススキの穂先が風になびき、雲間に月宿る中秋。
急な寒さに、一気にストーブの暖かさが恋しい夜である。

先日、ライティングデスクを移動してもらったので、引き出しの整理などをしており、
手帳類を移し替えていると、その中にブルゴーニュ・台北日記があった。
2006.9.10~10.5とある。
私自身は、日記なんて、書く暇も、読み返すこともないわと思って過ごしてきたが、
そうすると、日々の積み重なりのなかで、記憶の輪郭が曖昧になり、
飛ぶように過ぎ去った日々の実感が持てなくなってしまっている事に気づくのである。

11年前の9月11日にパリに着いた我々は、
オペラ・ガルニエからシャンゼリゼ~アレキサンドルⅢ世橋~チェルリー公園を抜け、ルーブルの脇から、
また橋を渡り、オルセーが休館で、カルチェラタン~サン・ミッシェル広場からシテ島へ、
ノートルダム寺院の鐘楼に昇ったりの、お上りさんを楽しみ、
お目当てのレストランが見当たらずカルチェラタンに戻ってジャンボサラダを食べたりして、
40200歩を歩いているのである。
翌12日には、我々は、TGVでディジョンに向かい、
13日にはディジョンからニュイ・サンジョルジュまで、実に、52640歩を歩き、
ジュベレイ・シャンベルタンではワインの試飲をしたり、歩くスピードの事で口論したりしているのである。
この記録を見ると、確かにそんな日があった!と記憶が実感として怒濤のように掘り返されてくる。
翌14日には51000歩、15日にはコートドールを35200歩と、
初秋の燦めく光に満たされたグランクリュのブドウ畑のあいだを、深呼吸しながら行きつ戻りつ歩き、
レンタサイクルで風を切って走り抜けて遠出をしたり。
バスが来なくて、列車でボーヌへ。
ボーヌの宿のオーナー夫妻は盆栽好きで、大宮の盆栽町まで行ったと熱っぽく語っていたなぁ~。
泊まったホテルから食べたものまで事細かに記録されていて、思わず笑ってしまう!
タルタルステーキ、ウズラのソテー、ブドウのソースにシャルドネを飲んでいる。
「そうそう、そんな日があった!」
9月19日は43193歩でシャニー。シャニーには、
かの三つ星レストラン「ラムロワーズ」があったけど、お高いのでパス。
9月20日には48000歩で、シャニー~ジヴリ~ボッシー。
ボッシーでは宿が無くって、駅前の老人達に教えてもらったシャンブル・ドット(民宿)へ。
アンティック・ショップもやっている気の良いマダムが、
翌21日のサングー・デ・ナショナルのシャンブル・ドットも予約してくれたのでした。
このサングー・デ・ナショナルのシャンブル・ドットが特筆に値する素晴らしい所で、
今でもはっきり覚えていて、時折思い出すのだが、
マダムのお祖父さまが1912年に建てたという千坪ほどの庭のある四階建ての邸宅で、
二間続きの2階のテラスからドアを開けると初秋の庭が広がっていた。
黒い大きな人懐こい犬がいて、お客のある時だけ、都市部に住んでいるマダムがやってきて、客をもてなすのだ。
1階の玄関ホールは高い吹き抜けで、ライブラリーとなっており、革の背表紙に金字の本が整然と並び、
室内は、1920年代の調度で統一され、全てがアンティック!
翌朝食のこってりしたショコラがまた濃密で、絶品でした!
テーブルウエァもアンティックの銀器で、映画の一場面のように鮮やかによみがえる。
と言いつつ、この日も49000歩!
9月23日は、クリュニーで、58000歩。
マコンからは列車でリヨンへ。
装飾美術館を見たり、夜はポール・ボキューズのビストロ、「ル・スッド」で、
クスクス風鶏肉ソースとロースト・ビーフ。
クスクスも、マラケシュで食べたのとは別物の仕上がりで、さすがおフランスなのでした。
アボガド、チーズ、トマトのサラダに、苺のタルトと、カシス、ラズベリー、シトロンの三色ソルベも食べて。
9月27日にはパリに戻り、リドのレビューを見て、いつもながらの場面転換の手際よさに感心したり・・・
クレージー・ホースのショーも見たけど、こちらはあまり面白くなかったなぁ、ステージも狭いし・・・

9月30日にパリを発って、キャリアがエヴァー航空だったので台北に寄ったのだった。
北投温泉や九フン(字が無い!)に行ったり、
夜市や足つぼも楽しかったなぁ~!食べ物が美味しいし・・・!

という具合に、日記というのは過ぎた日々が、確かに実感できるのでした。
私が書いた日記ではないが。

先日、車に積み込んでもらったタイル・モザイクのお作品はムサビ展の会場に搬入し、展示中。

ムサビ展会場はこんな感じ。

気になっていた、バスルームの窓の交換工事が始まり、
その後は、シーズンに備えて、ストーブの煙突掃除もしてもらう。
次々と、やること山積なのである。