滞在している、セント・ヨセフから左へ坂道を2㎞ほど歩くと、市が並ぶ広場に出る。

そこを城壁に向かって行くとタクシーの乗り場があり、アラブ人運転手が乗り合い客をベンツのタクシーに詰め込んでいる。

新市と旧市の境にある教会は大きな砲弾の穴がポッカリと口を開け、その上の崩れかかった梁の上にキリスト像が寂しげにたっている。その姿が、この国を象徴しているようで悲しく思った。

一般にエルサレムといわれる城壁で囲まれた旧市に入るには、石の門をくぐらなければならない。長い間戦争につぐ戦争のためか、直接入れないようにできている。

門の周りも、婦人達の市場になっていて、葡萄やイチジクを売っている。

そして、物売りとほぼ同数の物乞いの老人子供が、通る人に、アラーの恵みを、といって手を差し出している。

アラブ門から小さな商店の続く路地を百メートルも行くと、キリストが十字架を背負って歩かされたという路が階段状になって、キリスト教地区の方に続いている。その路の所々に、日本の巡礼地にあるように札所みたいな所がある。

写真を撮ろうとすると撮らせてくれないので困ってしまった。困ったから撮らないでは商売にならないと思い、隠し撮りをする。

先程から、何々地区とかいていますが、エルサレムは大きくアラブ(モスレム)、キリスト教、ユダヤ教の各地区に分かれていて、中心には、それらの聖地があるから戦争の原因にもなるんですね。

キリストが十字架を背負って歩いた狭い路は2000年前と同じような光線が差し込んでいる。その路をクリスチャンでも無い僕が感慨深げに歩く。

そんな所を左に折れて、やはりアラブ人商店の狭い路地を少し行き、また左に行き、行き交う人と肩をふれ合うようにして3分ほど歩くと、いつも人が立ち止まっている所がある。そこから幅1mほどの路に添って行くと、パッと開けた場所にでる。

そこは、ユダヤ人にとって最高の聖地、“嘆きの壁”がある。壁に近づくと兵隊が荷物のチェックをする。ゲリラを警戒してのことだと思う。

アラブ側にしてみれば、此処で機関銃でも鳴らせば効果は絶大であろう。

イスラエル側としても、此処をやられたら面目は立たないでしょう。

勿論、そんなことがあれば、戦争はさけられないでしょうね。

高さ20m、幅100mほどもありそうな壁が嘆いているんです。

世界中から集まったユダヤ人達が額を壁に付けて体を揺すりながら嘆いている。

その後姿を見ていると、三千余年の破壊と再建の歴史が伝わってくるようです。

壁は、黙ったまま、精神の主柱であり続けています。

壁の正面にそって右へ行くと、壁の上方に行く路がある。右側を見下ろすと、まだ整理されてない遺跡があり、左側に嘆く人達が見える。登りつめると厳重な門があり、兵士が固めている。

又、人の荷物を調べている。今度は先程とは反対の、モスレムの聖地、“岩のドーム”があるのです。

これもエルサレムを象徴するもので、モハメッドが死んだ時、天馬に乗り昇天した時の馬の足跡が残っている岩を、金色に輝くモスク風の建物でおおっている。

不思議な一致だが、時代を旧約聖書に戻し、アブラハムが一子イサクを神への生贄として殺そうとした同じ岩なのだという。

“岩のドーム”ではアラブ人が、アラーに対して祈りを捧げている。

本当に、“嘆きの壁”とは背中合わせなんです。

イスラエル、アラブの問題は多くの本に書かれているが、日本人にはとても理解できることではないと思います。理解できたような顔をしても、それはメシの種にするか、机上の論式で、戦争はいけない式のヒューマニズムのような気がする。

それと、日本人の多くは、オイルで威かされれば、イスラエルはいけない、アラブが戦争を始めれば、アラブはいけないと、戦争や他のシリアスな問題をマスコミぐるみで茶の間でTVドラマを見てる感じなんじゃないでしょうか。

現在のイスラエルでは、宗教として最大のキリスト教は少しこちらに置いといて、という立場にあるようです。城外数キロの所にキリストが磔になった、有名な“ゴルゴダの丘”があり、城内には、聖墳墓教会が、強力なキリスト教会各派で共同管理されているようです。

決まった時間に香を焚き礼拝をする態度の中に、歴史の中で自然に身についた主導権争いの片鱗が見えるので、僕のような他者(よそ者)には滑稽な感じがする。

西側世界を代表する三大宗教の聖地が、全く背中合わせであり、あるがゆえに、

ユダヤ人は、その地を追われ、

キリスト教は、キリストの名のもとに、十字軍を送り続けた。

モスレムの人々も、モハメッドが死んだ聖地として治めてきた。

ユダヤ人は、神が約束されたというカナンの地に、イスラエル人として帰って来て、

アラブ人を追い出した。

長い、気の遠くなるような抗争の歴史だが、

常に叫ばれるのは、

“神の御名”においてなのだから、

“神”って、いったいなんなんだろう。

『 エルサレム 』
      キリストが十字架にかかった丘の跡、聖墳墓教会で

硬い オルガンの音色
教会の暗闇の内から外に開いた小さなドア
流れ込む一条の光の中で
旅行者が二人 シルエットで
浮かんで消えた
子供たちが路上で走る音
カピ、カピ、カピ・・・・

キリストが死んだ その場所で
教会の暗闇の中で
深く 深く考えた

1973.9   宝田久人

『 キリスト 』

貴方の絶えた この地にて
貴方の偉大さを告発せん

貴方は 裏切りのために死んだという
貴方は 万人のために 死んだという

しかし 貴方は
キリストの名の下で
死後、どれだけ多くの争いを起こしたか
死後、どれだけ多くの富を集めたか

貴方と同腹の
マホメッド
仏陀も 遠く及ばない
王侯、貴族など
貴方に比べれば、子供のようなもの
バチカンをはじめ教会の富の全ては
貴方のものだ
そして
キリストの名の下で死んでいった
多くの命も
貴方の 名の下で
無量最大数の無理が通って来た

今、貴方を告発せん
ジーザス・クライスト
スーパースター!?

1973.9 エルサレム 聖墳墓教会にて 宝田久人